「まだ死なないで」最後に頑張ってくれた母
今まで何回かお見舞いに来たけど、「がんばって」とか「死なないで」とは言えなかった。意識もなく、機械に生かされている状態が本人は一番嫌だったと思う。
病室に入ると母のモニターがなっている。血圧が20を下回って、16位になるときがある。まだ妹も吉垣さんも来ない。「まだ駄目だよ」と思いっきり念力を送るように言った。不思議と血圧が上がってきた。やはり聞こえているんだ。最後にひと踏ん張りしてくれた。本当に最後の最後まで頑張ってくれる母は凄い人だと思う。
妹と吉垣さんが病室に来た。何とか間に合って本当に良かった。
医者も看護師も誰も来ない。延命治療はせず、自然に。
母のモニターはピコンピコンと鳴り続けている。
もうここから回復することはないと皆思っているようだ。
「ありがとね」「大好きだよ」とみんな声をかけながら泣いている。
看護師さんも先生も誰も来ないのは、もうこのまま亡くなってしまうと分かっているからだろう。
僕たちだけで最期の時を過ごせたのは本当に良かったと思う。母の温かい手を握りながら、この手で僕たちを育ててくれたんだと思うと涙が止まらなかった。「大丈夫だよ。兄妹仲良くちゃんとするからね。安心してね。」と母の前で誓った。
眠るように、母は静かに息を引き取った。
モニターの数値が0になった。
モニターがなければ寝ているんじゃないかと思うほど安らかな死だった。
母の手を握りながら思いっきり泣いた。「ありがとう」と何度も言った。どんどん手が冷たくなっていくのが分かる。
十分にお別れができたころ先生と看護師さんが来て、死亡確認をした。しばらく母のそばにいたかったけど、ほかの患者さんもいるし、医療機械につながれている状態がかわいそうだったので看護師さんにお願いして病室をでた。
霊安室へ移動
機械を外し、浴衣に着替えて、軽くメイクをして、先生を看護師さんに見送られながら霊安室へ移動した。
霊安室への移動をしてくれたのは、葬儀社さんでした。
霊安室に到着し、母を安置すると今後どうするかという事を聞かれた。急にそんなこと言われても対応できませんでした。葬儀社は決まっているか?ご遺体を安置する場所は決まっているか?全て吉垣さんが対応してくれました。
安置場所は母が暮らしていたマンションで、葬儀社は吉垣さんのところのワイズワークスでした。
病院からマンションまでは搬送車を使わずに、母が長年乗っていた自家用車で移動しました。
フルーリストよしがきの前で車を停めて、「終活サロン頑張るからね」と吉垣さんが言ってくれました。
国立の駅前を通り、以前住んでいたマンションの前を通って、自宅マンションに到着しました。
リビングに母を安置すると吉垣さんが花を持ってきてくれました。母が好きそうな、本当に綺麗で素晴らしい花でした。母が少し笑ったような、そんな感じがしました。